Project by BEARS 大倉喜八郎(実業家)/新潟辞典/新潟ゆかりの著・有名人
名前
大倉 喜八郎 (おおくら きはちろう)
外部リンクリスト
Wi
KJ
生年月日・没日
天保8年9月24日(1837年10月23日)生 - 昭和3(1928)年4月22日)没
出生場所・現住所
〜越後国新発田(現新発田市)出身
人物概要

主な業種
実業家(中堅財閥)
現在までの経歴
大倉財閥の設立者
爵位・男爵
日本の中堅財閥であった大倉財閥の設立者である。
鉄砲商から身を立て、明治維新後は貿易会社、建設業に転身。化学、製鉄、繊維、食品などの企業を数多く興した。
戊辰戦争、台湾出兵、日清・日露と戦争軍需によって大儲けしたことから死の商人、政商と呼ばれた。また、軍事関係の需要は三井・三菱を凌いでほとんど大倉組が独占したという。
喜八郎は、帝国ホテル大成建設あいおいニッセイ同和損害保険(旧千代田火災海上)・日清オイリオグループ(旧日清製油)・サッポロビール鹿鳴館帝国劇場大倉山ジャンプ競技場祇園閣などの、多くの事業や施設などの設立や投資に関与する。また、ホテルオークについては、大倉喜八郎の長男であり、大倉財閥2代目の大倉喜七郎が設立したホテルである。
1900(明治33)年には私財50万円、現在価値に換算すると約5億2500万円を投じて大倉商業学校(現・東京経済大学)を設立するなど、学校関連にも数件携っている。
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※ 参考・関連書籍など
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